ブ・ロ・グ
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偏見
僕の下す意思決定は全て自分の経験や思考に基づいている。
それは限定的な情報によって判断を下していることとおなじだ。
そういった意味で、偏見とそうでないものの区別は難しいのでないか?と感じた。


偏見には強弱がある。
自分の興味の薄いことに対する偏見は弱い。
逆に興味の強いことに対する偏見は強い。
弱い偏見は外部からの情報によりすぐに払拭され、より精度の高い(より弱い)偏見へと置き換わる。興味の薄いことにあるべき理想の姿は存在しない。
強い偏見は新しい情報が加わっても、中々改訂されることはない。「偏見」であるがゆえ、新しい情報が自分の思い描いているあるべき理想の姿と食い違うからだ。

日常の全ての行為も、その大半が興味の薄いことであるとしてとらえれば、うまく説明がつく。
とすれば偏見と呼ばれ想定されているのは強い方の偏見ということだろうか。恐らくそうだろう。


自分の持つどの視点が強い偏見なのかは普段何気なく生活しているだけでは判断が難しい。しかしなんとしても探っていくべき問題だ。
偏見を持つことは悪いことだとは思わないが(なにより仕方のないことだし)、偏見を偏見として捉えられないことや強い偏見を多く持ちすぎることは、他人とのコミュニケーションを阻害する原因になると僕は思う。




人が何を嫌いかなんて自由だとはおもってるんだけど…
理想像の押し付け、つまり偏見の押し付けってよくあることですよねpwq
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